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第3回 回顧録と日記

大隈伯昔日譚
大隈伯昔日譚
著者:木村毅監修
出版社:早稲田大学出版部/大隈重信叢書・第2巻
ISBN:4657690043
出版年月日:1895年刊(早稲田大学出版部版1969年刊)

ベルツの日記
ベルツの日記
著者:トク・ベルク編/菅沼竜太郎訳
出版社:岩波文庫〈上・下巻〉
ISBN:4003342615 4003342623
出版年月日:1943年刊(改訳版1979年刊)

 前回紹介した『名ごりの夢』のほかにも多くの明治の有名人が回想録を遺しています。その中で最も有名なのは勝海舟の『氷川清話』(講談社学術文庫)でしょうか。回想録の好著も少なからず絶版の憂き目に会っています。
 大隈重信の回想録『大隈伯昔日譚』は、早稲田大学出版部の『大隈重信叢書』(全5巻)中、第2巻に収められています。ちなみに、第1巻『大隈重信は語る』、第3巻『大隈侯昔日譚』、第4巻『薩長劇から国民劇へ』、第5巻『大隈侯座談日記』という構成です。現在、すべて品切れ状態ですが、第2巻は品切れになって日が浅いので運がいい人は入手できるかもしれません(それに早稲田大学出版部が創設者・大隈の普及版叢書を品切れのまま放置することはないでしょう)。
 というわけで、第2巻『大隈伯昔日譚』を取り上げます。この巻は佐賀の幕末維新を知る人のためには貴重な1冊です。
 勝海舟はその器量も大きかったようですが、口はそれにおとらぬ大風呂敷で、それが後日談ということも手伝って、著名人をバサバサと斬りつけます。しかし、そこが海舟談話の真骨頂ですから、「そりゃー、いいすぎだろう」などということは言わずもがなです。大隈の回顧談にもそういう印象はなきにしもあらずながら、一貫して独特のまじめさが漂っています。
 自分の近辺で起こった過去の事件についても、後代の歴史家がはたらかせるような客観的で鋭敏な視点をちらちらと窺わせ、それでいて当事者ならではの臨場感が失われていません。佐賀の幕末の実情を知るためには、発行から百年たった現在でも最も薦められるべき著作かもしれません。紹介したい箇所もたくさんあります。
 「偉人図書館」というテーマですから、ここでは偉人について大隈が語った箇所に絞っていくらか紹介するに止めましょう。
 幕末佐賀藩の明主・鍋島閑叟については、「人となりに深く信頼し、殊にその温厚な雅量は君子の趣きがあると羨ましくさえ思った」と賞賛し、幕末の紛糾の末にあたって、

……当時、公武の間に立ってその才能を振うに足る人は、彼一人であったから、幕府も彼に依らんとし、朝廷もまた彼に頼らんとした。……

と閑叟の所作がいかに全国の注目であったかを証言します。しかし、幕末の佐賀藩の決起が遅れたことを、閑叟が年老いて気力が衰えていたという前置きをしながら何度も批判をくりかえします。
 この本を読むと、維新に活躍した偉人たちの多くが、幕末佐賀藩では少数派で、かつ想像以上の排斥にあっていたことがわかります。維新の偉人を生んだ佐賀は、同時に彼らを排除しようとする多数派を作った佐賀であると言わねばなりません。
 大隈は自分の生涯を、「わたしの経歴は大体失敗の経歴だけである」「不自由な圧迫の下で、頭を下げてこれを忍んで来たのである」と顧みます。
 征韓論についても、当時の人々の関わり方を大隈の目で冷静に語り、そのころの江藤との議論に及び、

……江藤はなおもわたしに勧めてその意見に賛成せしめようとして来訪し、私は反ってその意見を改めさせようとし、強いて彼を留めて勧告した。お互いにくりかえし論争した結果深夜に及んだので、枕を並べてわたしの狭い家で一夜を明かしたことがあった。これこそわたしが政治上で江藤と会談した最期で、お互い敵視した最初でもあった。その後再び相見ゆる機会がないままに生死を別つことになったのである。当時の事情を説く時、全く哀愁、心をおおい、今とむかしを比べて見て、感慨無量である。

 佐野常民については、「本当はわたしと気が合わなかったのである」と、幕末からの思想的な違いを批判的に述べながらも、

……本当に善良な性質で、物事に対して熱心であり、誠意がある人であった。一つのことに対して精密に、忍耐強く、心を傾注することは恐らく他にこれを見ることが出来ない。……

と評価します。また赤十字と美術の保護に関わる佐野の業績を取り上げ、その卓越した先見性とねばり強さについて「得難い人物である」と語ります。
 大隈の語りは、常に別の側面からも見ようとするバランス感覚のようなものがはたらいています。
 島義勇については、「元来短気な人で」、その過激な議論で藩の役人をあわてさせたことを記しています。
 佐賀藩の尊皇家の首魁である枝吉神陽(枝吉神陽 関連書籍)について、彼から学んだことが「わたしの一生の精神行為を養成した第一歩であった」とし、神陽を中心に結成された楠正成を祀る義祭同盟に参加したことが「わたしが世に出て志を立てようとする手がかりであった」と回顧しています。維新期に活躍した多くの人材を育成した、副島種臣の兄でもある枝吉神陽の功績は、現在その大きさのわりに語られることが少なすぎます。
 副島種臣については大隈は、「一種の学者の風を備え」「先輩の中で早くから学識、才能がすぐれた人で」「独り居をしていても道にそむかぬ君子で」、徒党を組むようなことをしないため孤立していたが、10歳下の自分が説得して一緒に仕事をしたと言います。この二人のつかずはなれずで、不思議にしっかり繋がっている関係が――おそらく大隈の気配りによって――この後も生涯つづいていきます。
 『大隈伯昔日譚』の序文は、五十年以上の交際をつづけた副島に依頼しています。ところが、この揮毫された漢文体の序文を早稲田大学出版部版では、「書体及び文体は一種特別な趣を具え、至極難解であるので」(校訂者)という理由で、訳して活字で載せています。原本の写真を添える気配りもないことに愕然としますし、何よりわかりやすくなっているようには見えません。4番目に序文を寄せた書家としても知られる犬養毅は、「蒼海老伯(副島種臣)が達筆を揮われましたからは、別に書き上げお届けする必要もないかと存じます」と書いているのですから……。