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第1回 教科書が語らない江藤新平

明治六年政変
明治六年政変
著者:毛利敏彦
出版社:中公新書
ISBN:4121005619
出版年月日:1979年刊

江藤新平
江藤新平
著者:毛利敏彦
出版社:中公新書
ISBN:4797429291
出版年月日:1987年(1997増補版発行)

 今年6月末、新聞各紙が一斉に、佐賀の乱は「大久保利通の陰謀」だったと報じました。
 これを発表した研究者が、今回取り上げた2冊を執筆した毛利敏彦氏です。
 たとえば毎日新聞は「佐賀の乱は大久保一派が強行した計画的暴挙。最大の政敵だった江藤に反乱者の汚名を着せ、佐賀士族もろとも抹殺することを狙った」(6月27日)と毛利氏の見解を引用しました。
 毛利氏は15年以上前に発行された両著で、大久保による「佐賀士族もろともライバル江藤を抹殺」をほのめかし(『明治六年政変』)、大久保の「私刑」と断言(『江藤新平』)しています。
 現在の高校日本史の教科書は、この政変や征韓論について、たとえば以下のように記しています。

……参議西郷隆盛ら留守政府は,士族の軍事力を背景として,国交樹立を拒否する朝鮮に軍事的な圧力をかけることによって士族の不満をやわらげ,政府の威信を回復しようとした(征韓論)。しかし,1873(明治6)年に帰国した岩倉具視,大久保利通,木戸孝允が国内改革の優先を主張して反対したため中止され,西郷,副島種臣,後藤象二郎,板垣退助,江藤新平は参議を辞職した(明治六年の政変)。
(東京書籍『日本史B』)

 ところが、『明治六年政変』は、明治四年の岩倉使節団の計画段階から話を起こし、政変の背景の複雑さを詳しく点検し、原因は「征韓」ではないと結論づけています。さらに「征韓」ということ自体にも疑問を投げかけています。そこでは驚くことに、「征韓」派の中心人物とされる西郷ですら、「征韓」が本意ではなかった可能性が高いと指摘されているのです。教科書で知っていると思っていたことの危うさを感じます。この本によって副島、江藤、大隈重信、大木喬任をはじめとした佐賀出身の維新の人物像も別の顔を見せ始めます。歴史を知るということの難しさをつくづく思い知らされる好著です。
 そして『江藤新平』によって、維新政府においていかに江藤の功績が大であったかを知ることができるでしょう。江藤が明治六年の政変を経て、自らの思惑にはずれて佐賀の乱に巻きこまれ、梟首(さらし首)に至るまでが丁寧にたどられています。
 そこにちらつく大久保の動きを本著で読み知っていた読者は、報道された「陰謀」説にさほど驚かなかったのではないでしょうか。各紙記事によるかぎりでは、今回の毛利氏の新たな指摘は、佐賀の乱が「政府側から仕掛けたのは明白」ということをさまざまな史料によって結論づけたことであろうと推測しています (未見ですが、読売新聞によると「佐賀戦争は政府の計画的謀略」という論文にまとめられているそうです)。
 たまたま私の手もとに政変当時の内閣書記官・長沼熊太郎という人が書いた『征韓論分裂始末』(磯部文昌堂・明治39年刊)の複写がありますが、この中で政変の実質上の原因が征韓論争ではないことが述べられ、乱後すでに大久保の「私憤」によるという世評があったことが記されています。毛利氏が指摘するまで、どのようにして教科書で習ったような常識が形成されたのでしょうか。また毛利氏の説が多くの支持を得ている現在、なお教科書の記述に変化が見られないのはなぜなのでしょうか。
 近年の大久保論、佐々木克『大久保利通と明治維新』(吉川弘文館・1998年刊)、勝田政治『<政事家>大久保利通--近代日本の設計者』 (講談社メチエ・2003年刊)などにおいては大久保の「私憤」について否定的ですが、15年以上前の毛利氏の論に較べて歯切れが悪いように見えます。
 毛利氏には同じ中公新書に『大久保利通』(1969年刊)があります。こちらも、大久保利通という維新成立の最高功労者の生涯、大政奉還に向かって刻々と変化する状況や関係人物のめまぐるしい動きを描いたおすすめの1冊です。

(荷魚山人2004.8.26)