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第5回 近代化の功労者

火城
火城
著者:高橋克彦
出版社:PHP研究所
ISBN:4041704103
出版年月日:1992年刊(角川文庫版2001年刊)

新訳考証 日本のフルベッキ
新訳考証 日本のフルベッキ
著者:W.Eグリフィス著
松浦玲監修
村瀬寿代訳編
出版社:洋学堂書店
出版年月日:2003年刊

 高橋克彦『火城』。
 主人公は今年、佐賀県川副町に記念館がオープンしたばかりの佐野常民です。第3回目に大隈重信の回想をあげて紹介したように、いつも「誠実」「熱心」「善良」の言葉で語られる人物です。
 しかし、その佐野にも不似合いな(?)3つの金銭的な疑惑があります。
 『火城』は佐野栄寿(のちの常民)の最も有名な疑惑から語りはじめられます。
 舞台は江戸、伊東玄朴の蘭学塾「象先堂」。

平伏している佐野栄寿の、揃えた手の甲にぽたぽたと落ちる涙を認めて師の伊東玄朴は苦虫を噛()み殺した。

 前回、吉村昭『日本医家伝』に関連して、伊東玄朴について簡単にふれました。佐賀藩の科学技術の着手にも重要な役割を果たし、日本の医学にとっても功労の大きかった人物です。
 佐賀神埼仁比山村の貧農の家に生まれた玄朴は、将軍の侍医になるほどの出世を遂げます。多くの若者がその門を叩きました。本書は佐野栄寿との関係から、伊東玄朴についても少なからず語られています。
 その玄朴のもとに栄寿は藩命で入門し、数ヶ月で塾頭を任されます。ところが、その栄寿が蘭学塾にとって重要な辞書『ズーフ・ハルマ』(全21巻)を「こっそり持ち出し、質入れしたらしい」ことが判明したのです。この件について、『火城』では、

そもそも、栄寿がなんの目的で『ズーフ・ハルマ』を、しかも三十両(現在の四百万円近く)という大金で質入れしたかが、まったく解明されていない。学資に窮したとか、志士きどりで会合の費用を負担していたのだとか、いかにもそれらしい憶測は記載されているものの、どちらも当時の栄寿の情況からは有り得ない説に思える。……

と語ります。この後の栄寿が「奇策」によってこの苦境を乗り越えたように描く多くの伝記作者に対して、

実際に栄寿はその通りにことを運んだから、伝記に大きな間違いはない。ただ、その背後にあるものを見落としているとしか私には思えない。奇策の人、というとらえ方は決して厭な感じではなく、魅力的でさえある。しかし、栄寿のそれからの生涯を読み続けているうちに、奇策ほどこの男に似合わぬものはないと感じるようになった。彼は熱と誠意の人であって、決して博打にも似たやり方でことを成す性質ではなかった。……

と語っています。
 詳細は読んでのお楽しみですが、著者はこの理由に「すべて私の想像に過ぎない」と独自の新しい見解を注ぎ込みます。小説には推測や想像はつきものであるにもかかわらず、小説の文章中にその「想像」についてのうちあけ話が持ち込まれます。
 著者の見解には魅力がありますが、自らが語るように「すべて私の想像に過ぎない」のです。けれども、著者の佐野常民に対する強い思い入れこそがこの本の魅力を支えていると感じずにはいられません。
 「あとがき」には、

歴史は繰り返す、とはよく言われる言葉であるが、それは運命とか警告を示した言葉ではない、と私は解釈している。たとえ文明は進んでも人間の心は昔も今もたいして違わない。その人間の行動には道具や環境の差はあっても基本的に違いがないのだ。だから過去の歴史を詳しく調べることによって、未来を予測することだって可能となる。
 たとえば黒船来航を巨大な外圧と置き換えれば、現在の日本の状況と似てくる。それに対して過去の日本人はどう対処してきたか? なにが失敗して、なにが成功したのか。分析していけば日本は今後どういう道を選べばいいのかが見えてくる。すくなくとも指針にはなるだろう。

と熱がこもる。
 歴史の記述者には「史実に忠実であること」が問われるのが常です。しかし、書き手にも私たちにもそれ以上に必要なことがあるような気がします。
 この「あとがき」には歴史に対するときのヒントがうかがわれます。そしてこのことと、著者の佐野常民という人への思い入れからくる「想像」とがどこかでつながっているように思えてなりません。
 さらに、

佐賀の素晴らしさは、国のために一丸となって無駄な回り道を厭わなかった点にある。揺れ動く時勢に惑わされることもなく、ただひたすら定めた目標に向かって歩きつづけた。こんな道を今の日本が選べるだろうか? ただ世界の幸福のためにひたすら一丸となれる国に。自分にはとても歩けそうにない道だ。だからこそ佐賀に魅かれる。

と語られます。
 これまで私自身、たくさんのお手本に満ちた佐賀の歴史に無頓着だったことが悔やまれます。

※ 噛……噛は原文では正字になっています。