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第6回 副島種臣歿後100年
著者: | ドナルド・キーン(著) 角地幸男(訳) |
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出版社: | 新潮社 |
ISBN: | 4103317043 |
出版年月日: | 2001年刊 |
著者: | 石川九楊(編) |
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出版社: | 二玄社 |
ISBN: | 454402224X |
出版年月日: | 2000年刊 |
2005年1月31日は、副島種臣(副島種臣 関連作品)の歿後100年にあたります。
副島は維新の元勲で外務卿として有名です。生前から「格調の高い人」「正義の人」などと激賞された人物でありながら、現在その足跡をたどることは易しくありません。
副島については、評論家の草森紳一氏が、『すばる』(集英社)に1991年7月号から65回、『文學界』(文藝春秋社)に2002年2月号から40回の連載でその生涯を追いかけています。しかし、単行本にまとまっていないばかりか、本人によればまだ副島の生涯のほんのごくわずかを書いたにしかすぎないらしいのです。
さて、日本の出版界で最も権威のある毎日出版文化賞の2002年の受賞作であったドナルド・キーン『明治天皇』では、「日本の上将軍副島種臣」の1章を設け、副島について語っています。この章では、世界の外交官に絶賛されたという副島の対清外交を中心にまとめられています。
副島が特命全権大使として北京に到着したのは明治6年(1873)5月7日でした。その時の情況は、
……到着するや、副島は次の事実を知った。「既に百余日の久しきに」わたって清国朝廷と各国公使は、皇帝謁見の礼式の問題で膠着状態にあった。列国一般の慣習に従い、清国皇帝は立礼によって公使を迎えるべきである、というのが各国公使の言い分だった。しかし清国朝廷は、あくまで清国独自の慣習に従い、各国公使に跪拝の礼を求めた。双方とも、頑として譲る気配を見せなかった。清朝が絶頂期を迎えた十七世紀康煕帝の時代以来、清国はヨーロッパ人に跪拝の礼を強要してきた。言うまでもなくヨーロッパ人にとって、「跪(ひざまず)く」ことは侮辱以外のなにものでもなかった。……
のようであったといいます。副島も当然この問題に巻き込まれました。古来より中国皇帝に謁見する人は「跪拝」(ひざまずきおがむ)しなければならなかったのです。
しかし、6月29日、副島は他の使節に先駆けて単独で、しかも跪拝することなく皇帝謁見を実現させます。その後、ロシア、米国、フランス、オランダ各公使がまとめて謁見を受けました。これによって、副島は各国公使からも清国からも大いに感謝されたということです。
どうしてそのようなことが副島にだけ可能だったのでしょうか?
ドナルド・キーンは以下のようにコメントします。
副島は、清国大使として極めて適任であったと言わなければならない。副島は明治政府随一の能筆だったし、漢詩を作ることにかけて副島の右に出るものはいなかった。これらの素養は、副島が中国の歴史、哲学、慣習に通暁していたことと相まって、清国役人と交渉する上で大いに役立つはずだった。また副島の大使としての任務にとって、マリア・ルーズ号事件で奴隷待遇を受けていた清国民労働者二百三十二人を解放した副島の行為に対して、清国政府が感謝の意を表明していることも利するところがあった。
また、
清国官僚とのやりとりの中で、副島は終始中国の聖賢の教えを引用し、自己の見解の裏付けとした。
とも述べています。
この出張中出会った清国トップの政治家・李鴻章は、最初は副島に対して「冷たく」接したが、この後、政府から退いた副島をその手腕を見込んだ中国政府にスカウトしたという話もあります。副島は断ったといわれていますが……。 なお、「日本の上将軍 副島種臣」の次は「江藤新平の首」の章がたてられています。
本書は、明治天皇を軸に明治のさまざまな様相を非常に淡々とまとめています。
『明治天皇』は「人文、社会」の部門での受賞でしたが、同年の「文学、芸術」の部門で受賞した著作は石川九楊『日本書史』(名古屋大学出版会)でした。そして、この本の「終章」で特筆されているのが副島種臣の書です。
この年の毎日出版文化賞の2冊がともに副島にふれているという意味で不思議なあやを感じます。
この著者は2003年に発刊された豪華本『蒼海 副島種臣書』(二玄社)の編者でもあります。『日本書史』は専門的な要素が高く、『蒼海 副島種臣書』は早くも完売になっていますので、今回は石川九楊編『書の宇宙』第24冊を紹介しようと思います。
本書は中国・日本の書の名品を収めたシリーズの最終冊です。
この第24冊に選ばれた勝海舟、西郷隆盛をはじめとした書のメイン図版、全39点のうちの11点が副島の書で占められています(ちなみに次点は6点で中林梧竹)。
「恐るべし副島種臣」と驚嘆する著者は、「五言二句」と題された作品について、
日本書史上に稀代の奇書。政治家・副島種臣が死に、書家・副島種臣として甦ったことを象徴する作。幼時にして四書五経を諳んじたと言われるほど漢籍と書に通じた副島が、……(中略)……しかも、ひとつひとつの文字形は篆書体をモデルにしながらも、すでに近代的な図案(デザイン)の水準にまで高められている。いまだ解読されえていない、大きな謎を含む書である。
と解説し、副島を「戦後前衛書道家でも着想できぬほどの規模の、今なお驚くべき斬新な書を残している」と位置づけています。まずは、「それぞれの作品がすべて趣を異にする」といわれる副島の書の一端に触れてほしいと思います。
また、2004年末には島善高編『副島種臣全集』(慧文社)の1・2が刊行されました。その息子をして「七十八年の生涯を『心配』の二字で通した人」 (丸山幹治『副島種臣』みすず書房復刊)といわしめた副島が歿して100年、この第2巻に収められた「精神教育」を読むと、現代の日本の世相に忸怩たる思いを禁じえません。近年特にさまざまな凶悪な犯罪や非道な教職者の報道が目立った気がします。
その「精神教育」より。
どうか、善をさせて下さるやうにと、祈ればこそ、善をすることが出来る。此の心が、自づと人を高くするのである。祈る心から言はぬと、人も禽獣も同じことになる。(2004.1.20荷魚山人)