伊東玄朴とお玉ヶ池種痘所
深瀬泰旦著
佐賀藩医・伊東玄朴は牛痘接種法の導入を藩主へ進言し、楢林宗建による日本初の成功に尽力した。さらに江戸では、東京大学医学部の起源と称されるお玉ヶ池種痘所の設立に大きな役割を果たした。本書は、玄朴を中心とした多くの蘭方医の苦心と開設前後の経緯を検証する。
著者
- 深瀬泰旦(ふかせ・やすあき)
- 一九二九年、神奈川県川崎市生まれ。
一九五四年、東京慈恵会医科大学卒業。深瀬小児科医院を開業。順天堂大学医学部医史学研究室において医史学を専攻。東京慈恵会医科大学非常勤講師(医史学)、東邦大学医学部非常勤講師(医史学)などを経て、現在、日本医史学会名誉会員、日本小児科学会名誉会員。
本書・序章より
地方に種痘所が建設されながら、もっとも遅れをとっていたのは江戸であったいう事実は、漢方医のこれまでの抵抗がいかに激しいものであったかを物語っている。そのような事情を考えれば、いかに剛毅な玄朴といえども控えめに振る舞うことを心掛けたのは当然のことといえよう。
このようにして漢方医の牙城幕府医学館のお膝元の江戸でも、種痘所が開設されることになった。これから述べようとするのは、種痘所の開設から発展、そして終焉にいたるまでの大槻俊斎や伊東玄朴を中心とする蘭方医たちの活躍の軌跡である。